2010年03月10日
3月10日(水)ランチテニス(脱力テニス)
”脱力”テニス・・・。
言葉で言うと簡単だが、やるとなると難しい。単に力を抜くといっても、力を抜こうと意識して、逆に力が入ってしまっている・・・。さらに意識すると、今度は、ぼけっとしてるだけ・・・。
ここで、気づいたことがある。自分の得意なショット(といってもそんなにあるわけじゃないんですが・・・)の場合、無駄な力が入ってない気がする。
逆に言えば、相手の打ち返す球が速い、スピンがかかっている等々、ある種の恐れのようなものを抱いた場合、あるいは、チャンスボールがきた場合に限って力が入っている気がする。その証拠に、普段なんのおそれも抱いてない人のボールでは、かなりリラックスしつつ、コントロールして適度な球を打ち返している・・・。
つまり、”脱力”というのは、気負わないということか。とわかったようなわからないような・・・。
ちょっと前に、2手、3手という話をしたが、2手、3手というのは、あらゆる選択肢を考えて、それに順応に対応することであって、かならずそうしなければならないわけではない。どうも、思うように返さないとだめだという意識が強く働く時に限って無駄な力がはいってしまっているようだ。
脱力してテニスをするということは、ある種テクニックの一つなのかもしれない。例えば、スマッシュやボレーを練習するように、それを何度も何度も練習し、自信をもって打ち返せるようになったとき、自然と脱力できているのではないだろうか。
言葉で言うと簡単だが、やるとなると難しい。単に力を抜くといっても、力を抜こうと意識して、逆に力が入ってしまっている・・・。さらに意識すると、今度は、ぼけっとしてるだけ・・・。
ここで、気づいたことがある。自分の得意なショット(といってもそんなにあるわけじゃないんですが・・・)の場合、無駄な力が入ってない気がする。
逆に言えば、相手の打ち返す球が速い、スピンがかかっている等々、ある種の恐れのようなものを抱いた場合、あるいは、チャンスボールがきた場合に限って力が入っている気がする。その証拠に、普段なんのおそれも抱いてない人のボールでは、かなりリラックスしつつ、コントロールして適度な球を打ち返している・・・。
つまり、”脱力”というのは、気負わないということか。とわかったようなわからないような・・・。
ちょっと前に、2手、3手という話をしたが、2手、3手というのは、あらゆる選択肢を考えて、それに順応に対応することであって、かならずそうしなければならないわけではない。どうも、思うように返さないとだめだという意識が強く働く時に限って無駄な力がはいってしまっているようだ。
脱力してテニスをするということは、ある種テクニックの一つなのかもしれない。例えば、スマッシュやボレーを練習するように、それを何度も何度も練習し、自信をもって打ち返せるようになったとき、自然と脱力できているのではないだろうか。
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